「普通」って何だろう?おいしいの?
わたしは、OL。
仕事内容は、社内の販促物の制作なので、かっこよくいえば、クリエイティブ系のお仕事かも。。
仕事をしていて、「普通ってなんなんだ?」と思ったことを。
「普通」ってなんだ?
販促物の制作とはいえ、飛んでくる指示は中身のない、な~んとなくふんわりしたものなので、
自分で意図していることを考えて確認して、制作して。という流れになる。
中身のないふんわ~りした指示というのは、「チラシ作っといて。」だけ。
何のために、誰に、いつ、どんな目的のあるチラシなのかは、こちらから、確認して初めて考え始める感じ。
そんなやり取りをして行く中で、「今回は、○○がテーマで問題ないでしょうか?そのテーマとなると、こんなイメージ画像を使いつつ、キャッチはこんな方向性ですかね?」
ってな、話をしていくと、
必ず、「え!?なんで!?普通はこうなんじゃないの? なんで、あなたみたいなイメージになるの?」
と突っ込みが入る。
わたしとしては、「ん?その普通ってなんだ?あなたの中での普通でないのかい?」と、一旦引っかかってしまう。
そう思ってしまったのは、その普通発言をした人の言い方が喧嘩腰で引いてしまったのもあるかもしれないけれど。
カレーの「普通」って?
ちょっとゆっくり考えてみたい。
「カレーには普通牛肉でしょ!」と思っていても、
「いやいや、カレーには豚肉が普通でしょ!」
「いや、チキンが普通でしょ!」と、
カレーのお肉をとっても、3種類の「普通」お肉論争が勃発しかける。
つまり、「『普通』はあってないようなもの」だ!と、わたしは強く思う。
フランスの「普通」VS日本の「普通」
わたしは、海外旅行に行くのが好き。
日本を出ると、文化や考え方の日本式は通じないし、場所によっては非常識になることだってあるわけで。
例えば、フランスに行くと、挨拶の時には、ビズというほっぺにキスをするのが「普通」。
恋人とか関係なく、親子、友人など誰とでもビズをする。(初めてみた時は、ほんとに驚いた!)
わたし日本人だし、そんなの知らないし、やったことないぜ!と、思っていても、
フランス人からすると、人に会って挨拶をするときにビズをするのは「普通」。
しないほうが、何だこいつ?挨拶もしないなんて失礼な人だ!と
、不審に思われてしまうわけで。
日本では、レストランやカフェに入ると、席に着くやいなやメニュー、お水と一緒におしぼりが出てくることが「普通」。
おしぼりが出てこないお店もたまにあったりするけれど、
「あの〜おしぼり、来てないんですけど〜」と店員さんにお願いすると、必ず持ってきてもらえる。
だけど、フランスのカフェやレストランではお水を出してくれても(別料金のところだってある)、おしぼりは待てど暮らせと、出てこない。
おしぼり自体がフランスの文化の中にないから。
まさに、「郷に入れは郷に従え」ということわざの通り、
旅行先の国の習慣や文化を体験しつつ、自分の視野を広げたり、刺激を受けることで「普通」という概念は、
自分の中だけでしか通用しないちっぽけな概念、ということに気づく。
「普通」というものを他人に押し付けてはいけないし、他人の「普通」を受け入れるのも、「普通」のことかもしれない。
話を戻して。
さて、話をちょっと戻して。
気のおけない友人との会話だと、ちょっと強めに言ったって、お互いの信頼があるから、
何となく意図していることが伝わるけれど、
仕事の場面で、「『普通』◯◯でしょっ!」と切り捨てた言い方をすると、発言者はマウントを取って、してやったり!な良い気分になるかもしれないが、
言われた側は、「『普通』◯◯でしょっ!」の言葉の後に「え!そんなことも知らないの?(馬鹿じゃないの?)」という言葉が、発言されていなくとも聞こえてくる。
こころにゆとりを持っていたい
「普通」という言葉を発すると、その言葉には、
「わたしはこのような考え方しか知らないor認めない小さな人間です」という意味が隠れていて、無言のうちに相手を完全否定しているように思えてならない。
だから、わたしは「普通は」という言葉を発さない。
とはいえ、「普通は・・・」という言い方をしている人に、その言い方はやめたほうがいいよ!なんて、言えるはずもなく。
(時には言われて、落ち込む時もあるけれど・・・笑)
「『普通は・・・』『普通は・・・』ってちっちゃなことうるさい!」と
心の中で叫びつつ、さらりと受け流して自分の中で対処できるよう、心にゆとりを常に持っていたいと思う。
世の中は、まだまだコロナ禍で人々の心には、余裕がなく殺伐としている。
「ニューノーマル」という言葉まで出てきて、もう何が「普通」なんだか、
ますます「普通」という言葉のさす意味が複雑になっていると感じる。
そんな時代だからこそ、他人の「普通」に振り回されぬよう、自分の軸を持ちつつ、相手の「普通」も受け止められる、心のゆとりを持っておきたい。
merci
marie